チバユウスケの話
チバユウスケの話
この記事は PySpa Advent Calendar 2023 の 22 日目の記事です。昨日は Hiroki Niinuma のお話でした。
先日、チバユウスケが亡くなった。
とても悲しいことであったが、一度だけチバユウスケと挨拶をしたことがあることを思い出した。
1999年頃、私は大学生だったが、半分ライブハウスで働いているような状態だった。
大学では軽音部でPAをやっていたのだが、そうそう素人ではうまく行かないのでライブハウスにPAの勉強がてらバイトさせてもらっていた。 とはいえ普通そんなに簡単にライブハウスで働かせてもらうとはいかないのだが、先輩方のコネもあり割とすんなりと働かせてもらうことになった。
基本的に私は照明の仕事をしていた。ライブがあれば呼ばれ、搬入からリハ、ステージの転換、最後の片付けまで一通りさせてもらい、いろんな経験をさせてもらった。
合間、合間にPAさんから音楽のことやいろんなことも教わることができた。町野変丸のTシャツを堂々と着ていた当時のサブカルの権化のような人間だった私には本当に良い職場だったと思う。
田舎の小さなライブハウスではあったが、ライブがあれば呼ばれるので相当数のバンドを間近で見、話させてもらったりもしたので本当に良い経験ができたなと思う。
私が働いていた頃は、運がよくメジャーどころのバンドがライブハウスツアーのようなものをよくやっていた。 まあ私が好きなバンドかどうかはおいておいたとして、黒夢、D-SHADE、JERRY LEE PHANTOM、HI-STANDARDなどのライブを見ることができた。
メジャーなバンドの場合はほぼスタッフも乗り込みのため、お手伝いすることすらほぼなくPA席側からライブを見ていた。 HI-STANDARDに関してはPAさんのみ乗り込みだったので照明は私がやることになった。まあ当時人気絶頂のHI-STANDARDのライブで照明やるというレアな経験が出来たのは本当に良かったなと思っている。
そんなライブハウスに入り浸っている生活の中、ある日、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(TMGE)がライブツアーで来るということが決まったのである。
TMGEを知ったのは、初めてバイトしたCDショップで、今度デビューするバンドの曲を流していた時だった。 世界の終わりは当時衝撃的だった。私はロッキング・オンは欠かさず読んでるようなキッズだったのだが、ジャパンの方はあまり読んでおらず国内にもこんなバンドがいるだなとショックを受けた記憶がある。 まあその憧れでもあるTMGEのライブをしかも間近でリハから見れる。自分ではあまり覚えていなが、ライブ当日まではずっとニヤニヤしてたと思う。
ライブ当日、メンバー、スタッフが会場入りした時のことはあまり覚えていない。 そこで軽く挨拶ぐらいはしてたとは思うがあまり記憶にないのである。 搬入も特にすることがなく、スタッフはみんな乗り込みだったため、リハ中はあまりすることがなくゆっくりとリハが見れたのは覚えている。 メンバー同士の会話そこまで多くなく必要なことのみたったと思う。 キュウさんはよくスタッフと話していた。とても印象が良かった。 ベースのウエノさんはリハもすぐ終わり、ずっと灰皿のとこでタバコを吸っていたと思う。
リハ中で一番衝撃的だったのアベさんのギターの音だった。 自分が知る限り、バンドで一番生音(アンプから出してる音)がでかかったギターはアベフトシである。 生音でザックザック刻むギターのリフは本当に衝撃的なレベルで本当に凄かったし、音も本当にでかかった。 生音で一番いい音を出すギターリストの名前をあげるとすればぶっちぎりでアベフトシ一択である。
そしてチバユウスケである。
まあ寡黙であるのは想像できてはいたのが、予想以上に寡黙でおっかなかった記憶しかない。 あまりにも怖く近寄りがたいぐらいであった。 とまあビビってるうちにリハも思ったりよりも短くあっという間に終わってしまった。メンバーもさっさと街の方に行ってしまい、全く話などできなかった。
ライブ本番。
小さなライブハウスというのもあって、バンドとの距離が近く本当に熱気のあるいいライブだった。
ライブが終わり、客電がついた後、スタッフさんと挨拶などしながら片付けの手伝いを始めた所、メンバーもステージに戻ってきていた。 キュウさんはやはり話やすそうな感じがあって、スタッフと片付けをしながらにこやかに話をしていたのが印象に残っている。 シンプルなバンド構成なのもあってか片付けもあっという間に終わってしまい、みんなはけはじめていた。 私達現場のスタッフはというと、ある程度普段のライブ用にいろんなセッテイングを戻すという作業があるので会場に残っていた。 PAさんとライブの話をしながら残りの作業をしているとPA側にある開けっ放しの勝手口に人の気配があった。 その勝手口がある場所は楽屋やその他裏口への通路につながってるため、メンバーなどがよく通るのである。
そしてその勝手口からなんとあのおっかないチバユウスケが「お疲れ様でした!」と我々に挨拶してくれたのである。 もちろん大きな声で「お疲れ様でした!」と返した。 この「お疲れ様でした!」は本当に忘れられない挨拶になった。
チバユウスケが亡くなった時、この時の挨拶の事がよぎった。
今から20年以上前の事ではあるけど、チバユウスケと挨拶できたことは忘れないと思う。